東北の夏祭り「仙台七夕まつり」
仙台七夕の特徴は県内の孟宗竹の竹ひごでくす玉の籠を作りそれらに土佐和紙と友禅千代紙で装飾するものです。仙台七夕七つの飾りものはそれから時間をかけて育ってきたものです。
仙台七夕では近年絶滅危惧種に分類される土佐和紙と友禅千代紙を大切に保存し作られています。
日本の和紙は自然の恵みから出来ていますので、さらさらと、やわらかく・やさしい表情に親しみを持たせてくれます。さらに素材としての和紙は創造の喜びと醍醐味を我々に与えてくれます。
丹精込めて出来上がった七夕飾りは夜空に彩られ感動を誘います。そして、自然の恵みからなるそれぞれの素材に感謝の気持ちを忘れずに大切に飾られます。その他、前夜祭の「仙台七夕花火祭」のほか、期間中夕方に行われる「星の宵まつり」が、仙台七夕まつりを一層盛り上げます。年に一度の三日間の醍醐味を真夏の夜空の下で楽しんでください。
前夜祭 仙台七夕花火祭
毎年8月5日、仙台七夕まつりの前夜祭には広瀬川のほとりで仙台七夕花火祭が開催されます。
残念ながら本年度2020年の花火祭りは新型コロナウィルス感染症拡大の抑制の為中止への運びになりました。
主催の仙台青年会議所では、来年に向け準備を進めています。
仙台七夕花火祭はクラウドファンディングによる全国からの支援金と地元企業の協賛金と個人からの募金などで成り立っています。
「仙台七夕まつり」七夕の由来と仙台七夕
日本の暦には5節句があり七月には「七夕」が長い歴史をつないできました。
仙台では旧暦に近い8月6日から3日間、仙台市全域にわたり盛大に繰り広げられます。
今では世界中から観光客が訪れるようになり、ひと夏の感動をたくさんの人々と共有されるようになりました。
「仙台七夕」の大きな特徴は、毎年新しい飾り物を新調することです。竹細工から始まり装飾には友禅千代紙と土佐和紙などを使い一つ一つ心をこめてその日のために毎年準備されます。
飾り物の上部・丸い部分(くす玉)は2月の寒い時期に山から切り出した孟宗竹を竹ひごにし丸く編んで作ります。それに伊予(四国)の土佐和紙で作ったお花で飾ります。下部になる吹流しの部分は京都から取り寄せた友禅和紙などを取り入れ毎年工夫しながら作ります。
多方より観光に来られる方々により多く喜んでいただけるようにと日々試行錯誤しながら工夫を重ねて当日に向けて準備をします。
星伝説 の「七夕」
日本最古の歌集である「万葉集」に百三十首を越える七夕の歌が残っています。
そのほとんどが男女の恋の物語として詠まれています。
特に飛鳥時代に「歌聖」として有名だった「柿本人麻呂」という歌人は、恋歌という恋を題材した歌を多く残しており、その中には七夕を題材にした歌が含まれています。
天の川、楫の音聞こゆ、彦星と織女、今夜逢ふらしも
これを話し言葉にすると、
「今夜は七夕の夜なんですね。楫(かじ)を漕いでいるのは彦星です。彦星が天の川を舟で渡って織姫星(おりひめぼし)に逢いにゆくのですね。」
彦星が自分で小舟に乗って織姫に逢いに行く様を歌っています。夜空には彦星が織姫の元へと天の川を渡って行く姿が見える様です。七夕の夜は恋人たちの夢の一夜なのかもしれません。
夏の始まり「青葉まつり」仙台七夕 戦後の歴史
夏の祭りの始まりは5月の「青葉まつり」から始まります。
「青葉まつり」は仙台の三大まつりの一つとして5月の第3日曜日に仙台市中心部で開催されます。
山鉾巡行、すずめ踊りなどが、東二番町通、定禅寺通で繰り広げられます。
「青葉まつりの歴史」
「青葉まつり」の起源は青葉神社のお祭りです。現在の伊達政宗公の霊屋は瑞鳳殿に位置されてますが明治7年に伊達家の菩提寺である東昌寺の敷地内に青葉神社を創建しこの場所を基点に「青葉まつり」を伊達政宗公の命日である5月24日に行うようになりました。このころの青葉まつりは仙台藩伊達家における参勤交代に使われていた奥州街道を青葉神社から出発し、荒町・河原町・長町へと遠路お神輿を担いでいました。
残念なことに、明治時代から続いた「青葉まつり」は1939年に人類史上最悪の第二次世界大戦の勃発でなくなりました。それからさらに、1945年(昭和20年)8月15日の終戦(敗戦)からGHQの占領下になり、昭和27年サンフランシスコ平和条約【1952年(昭和27年)4月28日に発効】までの7年間にわたり「青葉まつり」その他「仙台七夕まつり」は無いままの時代が続きました。
このサンフランシスコ平和条約を境に市民はお祭りごとに力を入れられるようになり全国でも伝統行事が再興され、町の発展と復興に夢を抱けるようになりました。
一度途絶えた伝統行事の復活には人々の尽力と時間が必要です。「仙台七夕まつり」もこのころから復活しています。現在の「青葉まつり」は、昭和60年(1985年)に伊達政宗公没後350年記念として、仙台の新たな旅立ちをテーマにようやく復活され今日に至ります。
昭和36年頃の仙台七夕まつり 藤崎百貨店一番町前 他
「感無量の和紙の祭典」
仙台市内中心部繁華街での七夕飾りはお祭り期間中の早朝から掲出され夜の9時には片付けられます。3日間といえども関係者の皆さんは大変な作業になります。初日は前日から翌朝まで飾りつけの作業に追われます。
全国からの観光客の皆様の為にとなるべく長い時間飾られている場所もありますが限られた場所になります。仙台駅の構内・仙台空港などの屋内の飾り物はそれとは別に早い時期から長い期間そのまま掲出されています。
仙台七夕は和紙で出来ているため台風の影響を受けてしまったりと天候に左右されやすいと思われますが、雨にも負けず頑張って飾り続けていますので天気予報などは気にすることなく観光にお越しになってください。
仙台駅西口前から西へ延びる約800mの中央通り(ハピナ名掛丁商店街、クリスロード商店街、マーブルロードおおまち商店街)を進むと、北から南へ延びる約900mの一番町通り(一番町四丁目商店街、ぶらんどーむ一番町商店街、サンモール一番町商店街)へと隙間なく飾られる七夕飾りは観た瞬間思わず感激の声が出てしまいます。
「今後の仙台七夕」
文化行事の歴史は人の手によって支えら継承され残されていきます。
1971年(昭和46年)のニクソンショックから1973年(昭和48年)のオイルショックによる日本経済の波乱の時期に仙台七夕まつりも存続の危機に見舞われました。その際、各町内が予算の都合でまつり中止案が進んでいたところに仙台七夕まつり協賛会が予算の都合をつけ開催を存続されました。その助けを今でも感謝し、仙台商人の団結力と伝統を残そうとの思いで現在まで絶やすことなく継続されてきました。2020年の七夕行事も同じように仙台七夕まつり協賛会の手助けで新型コロナ蔓延の中でも僅かながらの継承を残すことができました。
仙台七夕まつりは、市民の手で、今後も時代背景に融合しながら繋いでいきます。